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参加学術団体


第14回日本音楽療法学会学術信越・北陸地区学術大会



                                              2016年6月19日 富山市 国際会議場
 

                           

 

ベンチャーズが日本の音楽文化に与えたもの

                〜音楽療法士の視点での検証のあり方

 

三井 徳明(日本ポピュラー音楽学会


 {はじめに}
1965年1月米国の人気ロック・インストルメンタル・グループ「ザ・ベンチャーズが来日した後エレキ・ブームと呼ばれ一代社会現象が生じた。彼らの演奏スタイル・コピーの男性のみの素人バンドが各地に多く出現した。これまで楽器演奏しなかった人たちが楽器に触るようになったこと、楽譜が十分読めない人たちが演奏活動を行うなど革命的な出来事であり日本の音楽文化に多大な影響を与えた。。
 {目的)
この当時20歳前後であった人たちも50年後の現在高齢期を迎え近い将来介護予防を含む高齢者向け音楽療法の対象者となる日はそう遠くはない。そのため音楽療法士にとってこの現象を正しく知り音楽療法への活用も検討課題の一つであると言えよう。
 {方法)
ベンチャーズなどエレキ・ギターを演奏ベースにする曲目の成り立ち。人々の需要形態。商業戦略。日本の音楽文化への影響。それに音楽療法への活用の方法などを知るために未発表音源を含む彼らの音源や文献の収集、You Tubeにアップ・ロードされている当時の映像や関係者の証言記録などネット上の情報も参考に加えた。
 {結果}
この当時米国内にはロック・インストルメンタル・グループは多数存在し米西海岸地域では人気者であった。しかしヒット曲は存在しないか数曲である。ただしベンチャーズは米国内で35曲 のシングル、38枚のアルバムのヒット歴がある。そのうち3枚はミリオン・セラーである。その実績は1960年代全体のビルボード誌アルバム・チャートでは第6位である。彼らはスタジオ・ミュージシャンを加え2〜3ヶ月で1枚の新作アルバムを発売しアルバム中心のセールスであった。その功績は2006年グラミー賞、2008年ロックの殿堂入りを果たしている。我が国では2回目の来日記念盤として1965年1月発売された「ダイアモンド・ヘッド」は100万枚以上、日本公演の1回を良質な録音可能なスタジオで行った「ベンチャーズ・イン・ジャパン」は50万枚以上のアルバムを売り上げた。日本でのヒット曲も多数存在する。彼らは第二の活動拠点を日本に定め50年間に地方都市を含め100回以上の来日公演を行っている。彼らは歌謡曲にも手を伸ばし和泉雅子・山内賢「二人の銀座」、渚ゆうこ「京都の恋」など米国的色合いのある歌謡作品も多数存在する。この当時10歳代思春期以前の人たちにも人気は高くレコード、CDは日本国内だけで4000万枚以上のセールスを記録している。1991年には第42回NHK紅白歌合戦に歌なしで出場、2010年日本と米国との文化交流の推進、我が国の音楽文化への功績が認められ旭日小綬章が授与された。
 {考察}
我が国の音楽文化に多大な影響を与えたベンチャーズの曲目には歌詞がなく言語的隔たりがないこと。比較的単純な曲作りでなじみやすいことなどであると思われる。また米国人の視点で作られた歌謡作品は日本の音楽文化を大きく変える力となった。また地方都市を含む公演活動は彼らの音楽スタイルを日本人の心に深く植え付けた。。
 現在70歳前後の人たちの当時のスタイルのバンド活動の再開も見られる。彼らの来日公演時世代を超えたファンが多数集まりCDセールスも好調である。
 我が国の音楽療法の現場では演奏主体がピアノであり。男性中心のエレキ・ギター演奏は女性には体力的負担も大きく現状では多くのバリアがある。かつてのギター・アンプは大音量であったが現在改良が加えられ小さな音での演奏活動も可能となっていること。またかつて子供たちがアコースティック・ギターで「テケテケ」と称されるトレモール奏法を行っていた。これも臨床現場へのヒントの一つであると言えよう。
 米国で生まれた音楽スタイルが日本人のものとなった背景には様々な歴史的、社会的背景も含まれ多くの秘話もある。このことは認知症者の回想法へもつなげるかも知れない。
 {結語
ここに紹介したベンチャーズ・スタイルの音楽はどちらかと言って米国的な男性的なものである。しかし日本文化に深く根付き話題性に事欠かない。介護予防目的の音楽療法部において受動的手段としての活用範囲も広く重要な話題提供であると言えよう。